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大阪高等裁判所 昭和48年(ネ)116号 判決

控訴人 熊野登 外一名

被控訴人 アルヴイン・ハンス・ローシユ 外一名

主文

原判決中、控訴人ら敗訴部分を取消す。

被控訴人らの控訴人らに対する請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人ら代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出・援用・認否は、左記の点を附加するほか、原判決事実の内、被控訴人らと控訴人らとの関係部分摘示のとおり(ただし、原判決五枚目裏八行目の「丁の部分に」の次に「昭和三五年五月頃から」を加え、その一二行目に「更らに」とあるのを「更に」と訂正し、同六枚目表一行目の「金九一二七円の」の次に「割合による」を加え、同九枚目表三行目に「第二ないし第六号証の各一、二」とあるのを「第二号証の一及び二、第三号証の一、第三号証の二の(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ)、第四ないし第六号証の各一及び二」と、その七行目に「乙号各証の成立は不知」とあるのを「乙第一号証の成立は認める、第二号証の一ないし九の成立は不知」と、同九枚目裏一行目から二行目にかけて「第三号証の二」とあるのを「第三号証の二の(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ)」と各訂正する)であるから、ここにこれを引用する。

(控訴人ら代理人の主張)

原判決添付図面表示丁部分の土地(以下、本件土地という)は、その所有者において永年にわたり管理を怠つていたこと、被控訴人らは国外若しくは東京に居住していて、本件土地を使用しなければならない必要性に乏しいこと、控訴人らは、本件土地上に原判決添付目録(三)記載の建物(以下、(A)建物という)又は同目録(四)記載の建物(以下、(B)建物という)をそれぞれ建築所有し、一〇余年にわたり、それらの建物を生活の本拠とし来つているのであり、その移転先を容易に見出し難いこと、本件訴訟が提起されて以来、控訴人らは、被控訴人らとの間において和解を成立させるべく、被控訴人ら方を訪問したり、被控訴人らの要求に従つて、東京や横浜方面において土地を物色したり、或は本件土地買取に関する折衝について奔走し来つたこと、一方、被控訴人らは、裁判所に絶えて出頭せず、ある案で以て、和解を成立させるかのような態度を示しながら、その内、手紙一本で以て、その案と異なる和解案を提示・強要して、和解の成立を妨げるのを常とし、本件紛争の解決に非協力的であつたこと、その他本件における諸般の事情を彼此総合するときは、被控訴人らの控訴人らに対する本訴請求は、権利の濫用に該るものであつて、許されないといわなければならない。

(被控訴人ら代理人の主張)

被控訴人らの本訴請求が権利の濫用に該る旨の控訴人らの右主張は、争う。元来、権利の濫用とは、外形上、権利の行使のようにみえながら、具体的の場合に即してみるときは、権利の社会性に反し、権利の行使として是認することができない行為でなければならないところ、控訴人ら主張の右各事実が仮に存在したとしても、それだけでは、被控訴人らの本訴請求が反社会的な権利の行使になるとはいえないから、右主張は、それ自体失当である。元来、被控訴人らは、本件土地について所有権を有しているのであり、その管理について非難されることがないように本訴請求をしているのであつて、別に反社会的な行為をしているわけではない。一方、控訴人らは、本件土地の所有者を調査しようと考えたならば、容易に調査し得たにも拘らず、その調査を怠つた上、本件土地に関し何ら処分権限を有しなかつた福家信太郎から、本件土地を借受けたのであり、過失があつたといわなければならない。このように、自らにおいて過失のあつた控訴人らが、正当な所有権の行使としてなしている被控訴人らの本訴請求を権利の濫用視することは、不当といわざるを得ない。なお、本件土地の管理については、その所有者が国外に居住していたり、戦争があつたりしたこともあつて、不充分な点があつたかも知れないが、その所有者において、外国人所有の不動産の管理を業としていた株式会社「中村平事務所」に対し、本件土地の管理を委託していたのであるから、その当時としては、相当な管理行為をしていたといわなければならないし、少なくとも、被控訴人らが所有者になつてから後は、適切な管理行為をしてきたものである。ところで、被控訴人らにおいては、本件土地を直ちに使用する必要はないけれども、同人らは日本国籍を有しない者である関係上、何時それを処分しなければならない必要が生ずるかも判らないのであり、これが処分の現実的な可能性を獲得しておくため、本訴請求に及んでいるわけである。そして、現在の住宅事情からすれば、控訴人らにおいて他に転居する気持がありさえすれば、アパート・マンシヨン等であれば、いくらでも移転先はあると考えられるのであり、控訴人らにおいて永年住み慣れた土地を離れなければならなくなる点については、自らの過失によつて本件土地上に建物を建築し、居住を始めたものである以上、その不利益を被控訴人らに負担させることはできないといわなければならない。なお、本件に関し和解が成立しなかつたのは、当事者双方の和解案が合致しなかつたために過ぎず、被控訴人らとしても、これが和解の成立を図り、誠意を以て努力してきたのである。そして、被控訴人らが裁判所に出頭しなかつたのは、弁護士である代理人がいたためと、遠隔地に居住していたこととによるものであつて、特に非難されるべき筋合のものではなく、右和解の不成立につき、被控訴人らのみが責められるいわれはない。以上のとおりであるから、被控訴人らの本訴請求が権利の濫用に該るとは、到底いうことができない。

(証拠関係)〈省略〉

理由

(一)  被控訴人登が本件土地上に(A)建物を所有し、被控訴人静子が該土地上に(B)建物を所有して、それぞれ本件土地を占有していることは、当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一号証の一に、原審証人笠原義夫、同中村仁策の各証言を総合すると、本件土地は、昭和一六年頃からテーヱス・ヱム・マイゼルスとヱル・パリシヤーとにおいて共有していたところ、昭和四四年九月頃に被控訴人らにおいて買受け、その共有(持分は、被控訴人ローシユが五分の四、被控訴人君子が五分の一である)となつたものであり、同年一一月一日にその移転登記を経由したことを認めることができる。

(二)  ところで、控訴人らにおいては、「控訴人らは、昭和三五年五月九日に、本件土地の所有者の前記マイゼルス及びパリシヤーの代理人の福家信太郎から、本件土地を賃借した」旨を主張して抗争する。そこで、その点について考えてみるに、控訴人らが右主張の日に福家信太郎から本件土地を賃借したこと、及びその当時、本件土地の所有者が右マイゼルスとパリシヤーとであつたことは、いずれも当事者間に争がないが、右の当時、福家信太郎において、右マイゼルス及びパリシヤーの代理人として、本件土地を他に賃貸し得る権限を有していたことは、本件における全立証を以てしても、確認し得ないから、右抗弁は採ることができない。

(三)  次に、控訴人らにおいては、「福家信太郎は、右マイゼリス及びパリシヤーから、少なくとも本件土地を管理する権限を与えられていたところ、その権限を超えて、控訴人らに本件土地を賃貸したわけであるが、その際、控訴人らとしては、右信太郎に本件土地を賃貸する権限があると信じ、且つそう信ずるについて正当な事由があつたから、右信太郎の本件土地の賃貸は、民法第一一〇条所定の表見代理行為である」旨を主張して抗争する。しかしながら、本件における全立証を以てしても、右信太郎が本件土地の所有者である右マイゼルス及びパリシヤーから、本件土地を管理する権限を与えられていたことを確認することができないから、右抗弁もまた採ることができない。

(四)  更に、控訴人らにおいては、「控訴人らは民法第一六三条により昭和四五年五月中に本件土地の賃借権を時効取得した」旨を主張する。そこで考えてみるに、前掲争のない事実に、成立に争のない乙第一号証、原審における控訴人登本人尋問の結果により、いずれも真正に成立したと認められる乙第二号証の一ないし九、当審における控訴人静子本人尋問の結果により、いずれも真正に成立したと認められる乙第三号証(作成者・菊野広)、同第四号証の一ないし四に、原審証人笠原義夫、同中村仁策、当審証人福家重喜の各証言、原審における控訴人登本人尋問の結果、当審における控訴人静子本人尋問の結果、及び弁論の全趣旨を総合すると、

(1)  本件土地は、昭和一六年頃から前記マイゼルス及びパリシヤーにおいて所有していたが、同人らは国外に居住していた関係上、その所有権取得後、本件土地の管理を外国人所有の不動産の管理を業としていた株式会社「中村平事務所」に対し委託していたこと

(2)  右「中村平事務所」は、右管理権限に基づき、昭和一六年頃に本件土地を含む土地である原判決添付目録(一)記載の土地上に所在する同目録(二)記載の建物を福家信太郎に賃貸したこと

(3)  昭和三五年初め頃、控訴人登は三〇才許りであつたが、神戸市生田区中山手通七丁目所在の居宅に居住して、病気療養中であつたのであり、同控訴人の妹の控訴人静子は、当時二五才許りであつたが、控訴人らの両親が、ともに早く死亡していたため、控訴人らにおいては、予てから近隣に居住する菊野広夫妻の世話をうけることが多かつたものであること

(4)  その頃、右中山手通七丁目所在の居宅がみすぼらしかつたため、未だ独身であつた控訴人らの結婚その他への影響を考えて、控訴人らにおいて、他に居宅を新築することを意図し、そのことを右菊野夫妻に相談したところ、同人らは知人の建築請負業者喜吉武雄(商号を朝日工務店という)に相談したこと

(5)  右喜吉武雄は、更に知人の宅地建物取引業者「きくや」に対し、居宅建築用の適当な借地の斡旋方を依頼したところ、右「きくや」において、福家信太郎が他に賃貸方を希望していた本件土地を告知したこと

(6)  右信太郎は、その頃、前記目録(二)記載の建物の一部を自らにおいて他に賃貸し、その賃料を取得していたが、本件土地の賃借方について交渉にきた右菊野夫妻、喜吉武雄、「きくや」、及び控訴人らに対しても、「本件土地の所有者は外国人であるが、国外に居住しているため、自分が本件土地の管理を任されており、他に賃貸する権限も有している」旨を告げたこと

(7)  そこで、右関係者らにおいて協議をした結果、昭和三五年五月九日に、右信太郎が控訴人らに対し、本件土地を建物所有の目的で賃料一ケ月金八〇〇円毎年五月と一一月の各末日限り半年分持参前払・賃貸借期間三〇年の約定で賃貸する旨の話合が成立し、即日、右信太郎、「きくや」、及び控訴人登が同道して、公証人役場に赴き、右信太郎を賃貸人とし、賃借人名義を控訴人登として、右約定を主たる内容とする本件土地に関する賃貸借契約公正証書を作成したこと

(8)  右信太郎は、本件土地の隣地上に所在する居宅に昭和一六年頃から居住し来つていて、右賃貸借契約締結当時、町内の世話役的立場にあつた在郷軍人であり、附近住民の人望も厚いとみうけられた人物であつたため、その頃、それらの事情を聞知した控訴人らとしては、右信太郎が本件土地の管理人であり、同人において本件土地を賃貸し得る権限を有するものと信じ切り、本件土地を賃借したこと

(9)  控訴人らは、本件土地を賃借後、直ちに右喜吉武雄に対し、本件土地上に居宅を建築することを依頼したが、当時、本件土地には雑草が繁茂していて、マンホールも存在し、荒廃していたため、右喜吉において、先ず本件土地につき整地作業を行い、該作業終了後に、建築の基礎工事を施行し、その後、その建築工事が進行して、昭和三五年五月一七日に上棟式を挙行した上、同年六月頃に(A) 建物と(B) 建物とを完成させて、控訴人らに対し引渡を済し、爾来、控訴人らにおいて当該建物に居住し来つていたこと

(10)  控訴人らは、本件土地を賃借して以来、右信太郎に対し、その賃料を遅滞なく支払い、同人が昭和三五年一二月一六日に死亡してから後は、その相続人の福家まさの又は福家重喜らに対し、当該賃料を遅滞なく支払い続けてきていたこと

(11)  控訴人登は、本件土地を賃借してから後しばらくして、右信太郎から、「本件土地は前記『中村平事務所』が管理している」旨を聞知したが、その際、右信太郎において、「自分が控訴人らに対して本件土地を賃貸していることについては、自分において右事務所の諒承を得る」旨を言明したため、控訴人登においては、何ら不安を抱かなかつたこと

(12)  前記「中村平事務所」は、本件土地の近傍に所在していたが、昭和三四年頃から倒産状態に陥つていたため、本件土地や、その附近の管理不動産の管理が極めて不充分となつていたのであり、前記信太郎に賃貸した建物の賃料も、昭和三四年七月以降支払をうけることなく推移し来つていたところ、昭和四四年中に被控訴人らが本件土地やその附近の不動産の所有権を取得してから後になつて、被控訴人らの意向に従い、それら各不動産の管理を厳重に行うようになり、右建物の賃料も、昭和四五年頃から支払方の請求をして、受領するようになつたものであること

(13)  そして、右「中村平事務所」の業務担当者らは、本件土地上に(A) 建物と(B) 建物とが存在するに至つたことを昭和三六年頃に知りながら、格別の措置を講ずることなく、昭和四五年春頃になつて、控訴人ら側に対し、本件土地を買受ける意思が有るか否かを打診したことがあるに止まり、控訴人らに対し、本件土地の使用についての折衝を絶えてしたことがなく、その間、前記福家まさのから、本件土地の賃料を控訴人らから受領していることについて相談をうけても、格別の措置を採ることなく、放任状態であつたこと

をそれぞれ認めることができる。この認定を覆すに足る資料はない。ところで、右の認定からすれば、控訴人らは、昭和三五年五月九日に本件土地を賃借した上、直ちに前記喜吉武雄に対し、本件土地上に居宅を建築することを依頼し、同人において、雑草が繁茂して荒廃していた本件土地を宅地として整備した上、建築の基礎工事を施行し、次いで建築工事をすすめて、同年五月一七日に、その上棟式を挙行したというのであるから、右喜吉武雄において右の整地作業に着手したのは、遅くとも同年同月一二日か一三日であつたことを推認することができる。

そうすると、前記認定の事実関係からすると、控訴人らは、昭和三五年五月九日に福家信太郎から、建物所有の目的で本件土地を賃借した上、同年同月一二日か一三日に本件土地を現実に占有して、使用を開始し、爾来、賃借の意思を以て、本件土地上に居宅を所有し、且つ該居宅に居住し、右信太郎ないしその相続人に対し、引続き本件土地の賃料を遅滞なく支払い、その間、他から本件土地の使用につき異議を述べられたこともなく、平穏且つ公然に本件土地の使用を継続し来つたものであり、その賃貸借契約の締結時において、控訴人らにおいては、右信太郎が本件土地を賃貸し得る権限を有しているものと信じ切つていたところ、その際、そのように信じ切つたことについては、当該具体的な場合において、一般通常の社会人として、もつともであると思料される事情があつたといわなければならない。従つて、控訴人らは、本件土地を自己のために賃借する意思を以て平穏且つ公然に使用し来り、その賃借使用の始めにおいて、善意且つ無過失であつたというべきであるから、民法第一六三条により、右昭和三五年五月一二日か一三日から一〇年を経過した日である昭和四五年五月一一日か一二日かに本件土地に関する建物所有を目的とする賃借権を時効取得するに至つたといわなければならない。よつて、この点に関する控訴人らの抗弁は理由がある。

(五)  ところで、被控訴人らは、「右の取得時効は、被控訴人らが控訴人らに対し、本件土地の明渡方を請求したことにより、中断しており、また、控訴人らにおいては、本件土地の使用開始に当り、過失があつた」旨を主張する。そこで、それらの点について考えてみるに、いずれも成立に争のない甲第五号証の一及び二、第六号証の二、官署作成部分の成立に争がなく、その余の部分は弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第六号証の一によると、被控訴人らは、その代理人である弁護士谷五佐夫をして、控訴人らに対し、昭和四五年五月一四日附書面で以て、本件土地の明渡方を請求させたところ、該書面が翌一五日に控訴人らに到達したことを認めることができるけれども、控訴人らにおいては、それ以前の同年同月一一日か一二日に、本件土地につき既に賃借権を時効取得していたこと、前記のとおりであるから、右の請求によつては、右取得時効を中断するに由ないものといわざるを得ず、また、控訴人らにおいて、本件土地を賃借するに際し、特に登記簿を調べて、本件土地の所有者を確認することをしなかつたとしても、控訴人らにおいては、本件土地を賃借するに際し、福家信太郎から、「本件土地は国外に居住している外国人の所有に係るものであるが、自分において他に賃貸し得る権限を有している」旨の説明をうけたのであり、その際、控訴人らにおいて、本件土地は右信太郎の所有物件ではないけれども、同人において、その所有者から本件土地に関する賃貸権限を与えられているものと信じ、且つそう信じたについては、無理からぬ事情があつたということは、上記のとおりであるから、その際、控訴人らにおいて、態々、登記簿を調べて、本件土地の所有者を確認することをしなかつたとしても、控訴人らが本件土地に関し賃借権を時効取得するについて、過失があつたとするわけにはいかないといわなければならない。被控訴人らの右主張は、失当である。

(六)  以上によれば、控訴人らは、現に本件土地につき被控訴人らに対抗し得べき建物所有を目的とする賃借権を有していることになるから、控訴人らが被控訴人らに対し何ら対抗し得べき権原もなく恣に本件土地を占有していることを前提とする被控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当といわざるを得ない。よつて、これと趣旨を異にする原判決は不当であつて、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三八六条により、原判決中、控訴人ら敗訴部分を取消した上、被控訴人らの控訴人らに対する本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、同法第九六条・第八九条・第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 竹内貞次 坂上弘 諸富吉嗣)

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